コラム 民事信託 〜ボケたらアカン!〜

内閣府が発表した平成29年版高齢社会白書によると、65歳以上の認知症高齢者数は年々増加傾向にあり、65歳以上の認知症高齢者は、2012年は約7人に1人でしたが、2025年には約5人に1人になると推計されているそうです。
認知症と判断された場合に困るのは、意思能力のない者として、法律行為ができなくなってしまうことです。具体的な事例を挙げてご紹介しましょう。

【事例】
Aさんの父は既に他界していますが、母(86歳)は数年前に認知症と診断され、現在は高齢者施設に入居しています。母が所有する賃貸用マンションからの賃料収入により借入金の返済を行っていますが、マンションの老朽化が進み、入居者が減少しています。このままでは、いずれ借入金の返済が滞る恐れがあるため、Aさんとその弟のBさんは、銀行から新たな借入れをした上で、マンションのリニューアルか建て替えをしたいと考えています。
なお、母の法定相続人はAさんとBさんの二人だけですが、先祖代々受け継いできた土地は、今後も守っていきたいとの意向です。

 この場合、マンションはあくまでも母の財産ですので、Aさん・Bさんが自由に処分するわけにも参りません。また、母には判断能力がありませんので、マンションのリニューアルや建て替えの資金を母名義で新たに銀行から借入れることもできません。
このような事例では、まず一番に考えるのは「成年後見制度」を利用することです。
実際に成年後見の申立てをした場合、どうなるのでしょうか。母の資産状況などから、おそらく、親族であるAさん・Bさんは成年後見人になれず、家庭裁判所で選任された弁護士等が成年後見人となることでしょう。成年後見人には善管注意義務がありますから、本人(母)にとって損害が生じるリスクのあることはできません。つまり、新たな借入れをしてマンションを建て替えるという投資的な判断はできないのです。そうなると、成年後見人としては、本人(母)の生活を守るため、マンションを売却し、銀行の借入金を返済した後、売却残金を今後の本人(母)の生活費に充てるという方針をとる以外に方法はないでしょう。
残念ながら、Aさん・Bさんは、マンションとその敷地、即ち先祖代々受け継いできた土地を手放さざるを得ない状況に陥ってしまうのです。
では、このような事態を回避するために、どのような方法があるのでしょうか。
母が認知症と診断されたのは数年前のことでした。とすると、その前に講じておくべき手段があったのです。それが、「民事信託」です。
信託とは、「信じて託す」という名のとおり、自身の財産を信頼できる誰かに委ね、財産の管理や処分を行ってもらう制度です。信託では、信託する者を「委託者」、財産の管理処分をする者を「受託者」、利益を受ける者を「受益者」といいます。特に、家族や親族等を受託者とする信託が「民事(家族)信託」と呼ばれているものです。
民事信託は、受託者や受益者を自由に選ぶことが可能ですし、財産の運用方法も予め指定することができます。また、成年後見制度は、本人の死亡により手続きが終了し、死亡後の財産管理ができないのに対し、民事(家族)信託では、本人が死亡しても信託契約を存続させることが可能です。
 
 それでは、母が認知症と診断される前に、母を「委託者」兼「受益者」、Aさん(BさんでもOK)を「受託者」とし、マンションを信託財産とする信託契約を締結していたとしたらどうなるでしょうか。
信託契約では、不動産の登記簿上、名義だけが受託者であるAさん(またはBさん)となり、権利(母)は動きません。したがって、不動産取得税、贈与税や譲渡所得税などは発生しません。マンションの固定資産税を負担するのも母のままです。
受託者は、信託の目的に反しない限り、信託財産を自由に管理・処分することができます。したがって、Aさん(またはBさん)は、自己の法律行為として、マンションを担保に銀行から新たな借入れをすることもできますし、マンションの建て替え工事の請負契約を締結したり、入居者との間で入退去時の賃貸借契約を行うこともできるのです。いずれ母が死亡した際には、信託契約を終了させ、相続としてマンションを引き継ぐことが可能です。先祖代々受け継いできた土地は、更に次世代へと引き継いでいくことができるでしょう。

確かに、人がいつ認知症を発症するのか、いつ死亡するのか、予測することはできません。しかし、しっかりしているうちに信託契約をし、安心して老後を過ごせるようにしたいものです。せっかく費用をかけて信託契約を結んだとしても、その翌日に亡くなってしまい、全てが水の泡になってしまう可能性も無きにしも非ずですが、万一に備えての対策は、意思能力のあるうちに行う必要があるのです。冒頭に掲げたとおり、「ボケたらアカン」のです。